ついに来ました、この時が。
お金を騙し取られました。

 

我が家には、車の運転をしてもらったり重い荷物を運んでもらったりするなど、生活面でいろいろとお世話になっている使用人のインドの人がいました。
すぐにお金を借りたがる、飲料用の水をほしがる(※インドでは水道水が飲めないため飲料用の水は有料です)、電話もSNSも繋がりにくいなど、困ったことも多かったのですが、最近は落ち着いて生活出来ていました。
しかしふと気づいたのです。
やけにガソリン入れる回数が多いな…と…。
私は彼に現金を渡してガソリンを入れてもらっていました。
本当は他人に現金を預けてはいけないのだけど、うっかり者の私は言われるがままにお金を渡していました。
多分私は、偽造した領収書を渡されていたのだと思います。
いつからこの詐欺行為を始めたのか、どのくらいの額の被害にあっているのかわかりません。
正直、いい人とは思っていませんでしたが、まさか犯罪行為を犯すとは。
怒りよりも、私は平和ボケした間抜けな人間だったな~と恥ずかしくなりました。

 

実はこれ以外にも、だまされエピソードはたくさんあります。
ジュエリーショップに指輪の修理を依頼したところ、音沙汰がないので連絡したら、「マダム今日送ったよ」とのこと。
しかし待てども来ません。再度連絡すると、「デリバリーのミスで戻ってきちゃったよ。土曜日送るね」。
でも来ません。「デリバリーの書類を送って」と言っても無視され、「今週行っていい?」と聞いたら「店は改装中で空いてない」と言われ・・・
怪しいと思い、アポなし突撃したところ、ちゃーんと営業していました。
この時は本気で頭にきまして、店主に悪態をつきながら、他のジュエリーを返却してもらったり、オーダーしたジュエリーを途中解約したりしました。
頭が集中しているからか、英語が次々と出てきました!
高校生の時に頑張った受験英語が、脳の片隅で生きていたんだな、と少し感動しました。
しかしそんなことを思っている場合ではありません。
結局、修理担当者が長期休暇中で作業が進んでいなかったため、彼の休み明けに渡してもらう、ということになりました。
私は「あなたいつも嘘ばっかりだからね。絶対に返しなさいよ」と悪態をつきながらその日は帰りました。
しかしその数日後に判明した真実は、「店が指輪を紛失していた」でした。
最後まで騙されていました。

 

さらに、こんなこともありました。
自宅の照明器具の電球交換をお願いしたところ、技術者が帰ったあとすぐに照明器具が溶けました。
電球のワット数が大きすぎたのが原因でした。
すぐにその技術者を呼んで新しい照明器具に変えてもらったのですが、その照明器具代と修理代まで請求されました。
こちらは悪くないので払わない旨を伝えたのですが、引き下がらなかったので、技術者を派遣した不動産会社に連絡をとりました。
不動産会社の担当者に説明したところ、「OK madam,we should pay!」と言ってくれました。
そうかそうか、不動産会社が払ってくれるんだ…と思ってふと考えました。
Weって誰?
私は聞きました「Who are we?」
担当者「I and …you.HAHAHA~」
完全にだまそうとしてましたよね?私は怒って何も払いませんでした。
そのお金を誰が払ったのか、いまだによくわかりません。

 

もちろん全員ではありません。信頼できるインドの人もいます。
また日本人にも人をだます人はいて、私はたまたま今まで引っかからなかっただけなのでしょう。
でも、やはりこう考えてしまいます。
なぜインドの人は平気で嘘をつくのか、と。

 

いや、そのように考えるのは間違っているのかもしれません。
自国の考え方を他国にあてはめることは、他国への理解を妨げます。
使用人は私からお金を借りたがり、それが叶わないと今度は騙しとりました。
でも一方で、彼は貧乏でしたが、友達がお金に困っていると気前よく貸していました。
家に帰るお金がない時は近くの友達の家に泊まらせてもらったり、自分も友人を泊まらせたり、助け合って生きていました。
人からの迷惑を許す代わりに、自分がかけた迷惑も許してもらう。
お互いに許し合い、甘え合う、こういう気持ちなのかな?と思いました。
インドの南部にはおおらかな人が多いと言われています。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との争いも北部に比べたら少なく、他者を受け入れる文化があるとか。
ダイバース(多様性)と言ったら大きく言い過ぎかもしれませんが、価値観の違う者同士が、それぞれの価値観(それがたとえ平気で嘘をつくということでも)を受け入れ合うのがダイバーシティ社会の鍵なのでしょうか?
だとしたら、日本人にとってダイバーシティというのは、なかなか困難なものですね。

 

また、これは個人的な意見ですが、インドの人には過去への後悔や将来への不安が少ないように感じます。
もしあるとしたら、このような見え透いた嘘をつくことはなかなかできなさそうです。
今さえよければそれで良い、あとで嘘が暴かれてもその時対処すればよい、と考えている節があるのかな、と。
メディテーション(瞑想)関連の本には、「今ここにあることに集中することによって、過去への後悔や未来への不安を消し去ることができる」と書かれています。
「今を生きる」の悪い面が、「今さえよければいい」なのでしょうか。
私も気を付けないといけません。

 

数々の経験を経て、今や私は「嘘をつかれたっぽいときの対処術」を研究する研究者のような心持になっています。
「闇の魔術に対する防衛術」のようでかっこいいです。いや、全然違いますね。
ともあれ、今後も研究を続けていきたいと思います。